TOP > 評価信用社会 > タータンチェックと「作られた伝統」
タータンチェックはスコットランドの象徴的な柄として知られていますが、実はその「伝統」の多くは19世紀に作られたものであり、歴史的に長く続いてきたわけではありません。この点は、歴史学者エリック・ホブズボームらが提唱した「作られた伝統(Invented Traditions)」の典型例とされています。
1. 「作られた伝統」とは?
「作られた伝統(Invented Traditions)」とは、比較的最近作られたにもかかわらず、古くからの伝統であるかのように人々に認識される文化や習慣のことを指します。エリック・ホブズボームとテレンス・レンジャーによる著書『The Invention of Tradition(伝統の発明)』で提唱されました。
この概念は、特に19世紀以降のナショナリズムや近代国家の形成と密接に関わっており、国家や特定の集団が「伝統」を創出・強化することでアイデンティティの確立を図るものです。
2. タータンチェックの歴史と「作られた伝統」
2.1 本来のタータンチェック
スコットランドでは、タータン(Tartan)はもともと地域や氏族(クラン)ごとに異なる織物として作られていました。しかし、これらの柄が厳密に「氏族ごと」に定められていたわけではなく、18世紀以前には標準化されたルールは存在しませんでした。
また、1746年の「ドレス法(Act of Proscription)」により、ジャコバイトの反乱を鎮圧するためにスコットランドのハイランド地方の伝統的な服装(キルトやタータンの着用)が禁止されました。この法律は約40年間続き、タータン文化の一部は衰退しました。
2.2 19世紀に生まれた「クラン・タータン」の概念
現在知られる「氏族ごとに決まったタータン(クラン・タータン)」の概念は、実は19世紀に作られたものです。
1815年、スコットランドのタータン産業を促進するために、タータンの標準化が進められました。その中心的な役割を果たしたのが「Tartan Baron」と呼ばれるウィリアム・ウィルソン&サンズ(William Wilson & Sons)という織物会社です。この会社は、タータンのパターンを標準化し、それを氏族ごとに割り当てることで、クラン・タータンの概念を定着させました。
さらに、1822年にスコットランドを訪れたイギリス国王ジョージ4世の影響で、タータンはスコットランドの象徴的な伝統として強調されました。この訪問を演出したのが、スコットランドの作家ウォルター・スコットであり、彼の影響によりスコットランド文化のロマン化が進みました。
2.3 ヴィクトリア女王とタータンの普及
ヴィクトリア女王(在位1837~1901年)はスコットランドを愛し、バルモラル城(Balmoral Castle)をスコットランドの別荘として使用しました。女王がタータンを積極的に取り入れたことで、タータンはイギリス王室の公式な装飾やファッションとして定着しました。
特に、ヴィクトリア女王の夫であるアルバート公がデザインした「バルモラル・タータン(Balmoral Tartan)」は、王室専用のタータンとして知られています。
3. タータンチェックとナショナリズム
タータンは19世紀に「スコットランドの伝統」として再構築されましたが、これは単なる衣服のデザインではなく、スコットランドのナショナル・アイデンティティの象徴ともなりました。
●スコットランドがイギリスに併合された後も、タータンを着用することでスコットランド人としての誇りを表現する手段となった。
●19世紀の「スコットランド復興運動(Scottish Renaissance)」の中で、タータンは文化的アイデンティティを強化する役割を果たした。
●20世紀以降も、スコットランドの民族的シンボルとして、観光業やファッション、スポーツ(スコットランド代表チームのユニフォームなど)にも取り入れられている。
4. 結論
タータンチェックはスコットランドの伝統的な織物でありながら、現在の「クラン・タータン」の概念は19世紀に「作られた伝統」として定着したものです。このプロセスには、
●産業化による標準化
●王族や文化人による普及
●ナショナリズムとの結びつき
といった要素が関わっています。タータンは歴史的なルーツを持ちながらも、意図的に形作られた「伝統」の一例であり、その発展過程は他の国の文化的シンボルとも共通する部分が多いと言えます。