TOP > 評価信用社会 > シングルタスク思考の歴史的流れと認知科学的考察
1. はじめに
現代社会では、マルチタスクが求められる場面が増えている。特に、デジタルデバイスの普及によって、一度に複数の作業をこなすことが一般的になった。しかし、認知科学や心理学の研究においては、人間の脳が本来的にシングルタスク（単一作業）に適していることが指摘されている。
本稿では、シングルタスク思考の歴史的背景、認知科学的知見、関連する学問領域のトピックを整理し、シングルタスクの重要性と今後の課題について考察する。
2. シングルタスク思考の歴史的流れ
2.1 産業革命以前の労働とシングルタスク
産業革命以前の社会では、人間の労働は基本的にシングルタスク型であった。農業や職人の手仕事では、一つの作業に集中し、長時間にわたって同じ工程を繰り返すことが求められた。たとえば、中世の職人は、道具の製作や修理において、細部に注意を払いながら作業を行うことが一般的だった。
2.2 産業革命とタスク分業の発展
18世紀後半から19世紀にかけての産業革命により、工場制度が確立し、作業の標準化と分業が進んだ。フレデリック・テイラー（1856-1915）の科学的管理法では、作業効率を最大化するために、単純なタスクに労働を分割することが推奨された。これは一見シングルタスクの強調のように見えるが、実際には労働者が流れ作業の中で頻繁にタスクを切り替える必要が生じ、現代のマルチタスクの萌芽となった。
2.3 情報社会とマルチタスクの普及
20世紀後半から21世紀にかけて、コンピュータやインターネットの発展により、情報処理のスピードが飛躍的に向上した。特に、スマートフォンの登場（2007年以降）によって、複数のアプリケーションを並行して使用することが一般化し、日常的にマルチタスクを行う機会が増えた。
この流れにより、「マルチタスク能力」がビジネスや学習の場面で重視されるようになったが、認知科学の研究ではマルチタスクの弊害が指摘されるようになった。
3. 認知科学におけるシングルタスクとマルチタスク
3.1 人間の脳はシングルタスクに最適化されている
認知神経科学の研究によると、人間の脳は基本的にシングルタスクに適していることが示されている（Marois & Ivanoff, 2005）。これは、脳の前頭前野がタスクの切り替えに時間を要するため、同時に複数の作業を並行して行うことが困難であるからである。
研究によると、タスクの切り替えには認知的な「コスト」が発生し、注意をリセットする時間が必要となる（Rubinstein et al., 2001）。これは「タスク・スイッチング・コスト」と呼ばれ、作業効率を低下させる要因となる。
3.2 ワーキングメモリの制限
ワーキングメモリ（作業記憶）は、一時的に情報を保持しながら処理を行う脳の機能であり、シングルタスクの遂行に重要な役割を果たす。ワーキングメモリの容量には限界があり（Miller, 1956）、過度なマルチタスクはワーキングメモリを圧迫し、情報処理能力を低下させる。
たとえば、電話をしながらメールを書くといった状況では、両方のタスクがワーキングメモリを占有し、結果的にどちらの作業効率も低下することが実験的に確認されている（Ophir et al., 2009）。
3.3 注意残余と深い思考の阻害
「注意残余（Attention Residue）」とは、一つのタスクから別のタスクへ移行した際に、前のタスクに対する注意が脳内に残存し、新しいタスクへの集中を妨げる現象を指す（Leroy, 2009）。
スマホの通知を頻繁にチェックすることは、注意残余を生じさせ、深い思考（ディープワーク）の妨げとなる。シングルタスク思考を強化することで、この問題を軽減することが可能である。
4. シングルタスク思考を促進する学問領域のトピック
4.1 認知心理学：集中力の持続
●「フロー理論（Csikszentmihalyi, 1990）」によると、高い集中力を維持することで、作業の効率と満足度が向上する。
●一方で、外部刺激が多い環境ではフロー状態に入ることが難しく、シングルタスク環境が推奨される。
4.2 神経科学：注意の制御
瞑想やマインドフルネスの実践が前頭前野の活性化を促し、シングルタスク能力を高めることが示唆されている（Tang et al., 2015）。
4.3 教育学：シングルタスクの育成
●教育現場では、デジタルツールの適切な使用法を教えることが、シングルタスク能力の向上に寄与する。
●「ディープ・ワーク（Newport, 2016）」の概念に基づき、集中力を強化する教育プログラムが求められる。
5. まとめ
シングルタスク思考は、歴史的に見ても労働や学習において重要な役割を果たしてきた。しかし、情報社会の発展に伴い、マルチタスクが求められる場面が増え、人間の認知能力に悪影響を及ぼしている。
認知科学の研究では、シングルタスクが集中力や生産性の向上に寄与することが示されており、今後は教育や職場環境においてシングルタスクを促進する仕組みが求められる。
シングルタスクの重要性を再認識し、より深い思考と効率的な作業環境を整えることが、今後の社会において鍵となるだろう。
